Organic な「もの」「こと」「ひと」
  1. 国産有機
    サポーターズ
    活動事例集

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  2. 東京都港区

    株式会社クレヨンハウス

    取締役副社長 岩間建亜さん
    【クレヨンハウスとは】
    絵本やおもちゃ・女性向けの本・オーガニック食材・化粧品・雑貨・ファッション等を取り扱うオーガニック・ショップ。作家でクレヨンハウス主宰者の落合恵子さんが、1976(昭和51)年、「子ども・女性・オーガニックの視点から文化を考える」をテーマに、絵本ショップ兼レストランとして東京・表参道に開店しました(現在は大阪・吹田市にもショップがあります)。

    当時はアレルギーや公害が社会問題となっており、国内での有機農業運動が本格的にスタートした時代でした。そんな中で開店したクレヨンハウスは、健康や環境問題に対して意識の高い都市生活者の圧倒的支持を受け、オーガニックライフを牽引する存在となりました。また、各種イベントやセミナーの開催、月刊誌や書籍の出版も手がけています。CSR(企業の社会的責任)やSDGs(持続可能な開発目標)という言葉がなかった46年前からずっと、それらの概念を具現化し、時代より一歩先を行く提案を発信し続けてきたのです。

“女性・子ども・オーガニックの視点で文化を考える”。
そのためには“汚染されていないクリーンなスペース”がなければいけない。
落合(恵子)の考えをこれまでも、これからも、形にしていきます。

多様性を大切に、弱者を置き去りにしない社会を
「オーガニックで安心な食」、「環境に負荷をかけすぎない暮らし」、「子どもたちの未来をよりよくする社会への働きかけ」、「人間の尊厳を守り、多様性を尊重すること」。クレヨンハウスが提案する“もの”や“こと”は様々ですが、それらはすべて、根っこで繋がっています。根底にあるのは“人権の尊重”。子ども・女性・高齢者・障がいのある人…。こうした“弱い立場におかれがちな人々”に配慮し、強者視点の社会から弱者視点の社会へと変わっていくことで、すべての人が生きやすい社会になると考えているのだそうです。

そのために毎日の生活を大切にし、適切な商品を選択していくことで、“文化”を拓いていく。その志は、開店時も今も変わっていません。健やかな暮らしを送るための情報発信、安全な食材の提供をはじめ、脱プラスチック・STOP温暖化・脱原発など、様々な問題に取り組んできました。家族の健康を守ることも、持続可能な社会を実現することも、“せっけん一つ”、“天然素材の洋服1着”など、日常で使う1つ1つを見直すことから始まるのだ…という、極めて具体的なライフスタイル提案をおこなっています。
オーガニックレストラン認証
地下1階にあるオーガニックレストラン『広場』は、2019年3月に「オーガニックレストランJAS取得店第1号」となりました。「開店直後、レストランで、お客様から『食材がオーガニックではない』という指摘を受けたのです」と、取締役副社長の岩間建亜さんは振り返ります。そこからオーガニック食材に本格的に取り組み始めましたが、当時はオーガニック食材の生産者が少なく、仕入れが実現するまで12年ほどかかったといいます。
農家のための“出口”を作る
生産地を訪ね歩く中で、「オーガニックに取り組みたいと考えている生産者がいても、生産した有機農産物が確実に売れて生産者の生活が立ちゆくようでないと、実際にオーガニックにチャレンジすることは難しい。オーガニック農家が増えていくためには、自分たちがたくさん売って、農家のための“出口”を作らなければならない」と岩間さん達は考えるようになりました。そして、レストランだけでなく八百屋を併設したり、お客様が野菜をたくさん食べてくれるようメニューをビュッフェ形式に変更したりと、オーガニック農産物の消費量が増えていくための仕掛けを実現していきました。

そして、2018年には株式会社オーガニックフーズ普及協会を設立。農産物をはじめ、調味料・お菓子・ベビーフードなどの加工食品まで、オーガニック食材全般を取り揃えた卸売り会社です。あちこち仕入れ先を探さなくても、一か所で様々な食材が調達できるようにすることで、業務用でもオーガニック食材が手軽に手に入るようにと考えてのことでした。
汚染フリーなスペースを
「クレヨンハウス創業当時は、公害問題が社会的にクローズアップされ、『複合汚染』(有吉佐和子:著/1974年発行)が注目を浴びていた時代でした。子どもと女性との視点で文化を考える場所を作るならば、そこは、汚染フリーなスペースにしなければならない。それが、昔も今も、クレヨンハウスの根底にあります」と岩間さんは言います。当時はまだ国内にオーガニックの認証基準がなかったため、落合さんが海外のオーガニック事情を視察してまわりました。そして、海外のオーガニック基準と同等の安全性を目指し、クレヨンハウス独自の安全基準を一つひとつ定めていったそうです。

「当時は、東京のド真ん中に汚染フリーなスペースを作ることに大きな意味がありました。多くのケミカルなものに囲まれている都市生活者にこそ、食の安全性や環境汚染に関する問題意識をもち、暮らしを見直してほしかったのです。ただアフターコロナでは、その役割もそろそろ一段落し、我々は次のステージを目指す時期にさしかかっているのかもしれません」と岩間さん。“自然回帰”・“ローカルな暮らし”に軸足を置き、都市から離れた場所に拠点を設けることも視野に入れ、次の展開を考えているところだそうです。クレヨンハウスが長年支持されているのは、時代の風を敏感に察知し、その都度、具体的な生活提案とともに、生活者に必要な情報とモノを届けているからなのでしょう。「クレヨンハウスは常に、“完成を求めている途中”なのです」という岩間さんの言葉が心に残りました。
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